「この度の大震災は日本に大打撃を与えた。今でも悪夢の中にいるようだ。抜け出そうにも抜け出せない現実に直面している。いま、この時に出来ることは何か?みんな探してる事だろう。どん底に落ちた今、後は這い上がるのみ。天窓から希望の光が射し込んで来た。頑張ろう!ニッポン&音楽人!」

2011年3月20日 吉川直人

 

ー今回は四谷天窓10周年という事で、四谷天窓店長にお話を伺います。まずは10周年の率直な感想を聞かせて下さい。

「すごく早かったなぁという気持ち。当時は弾き語りのアーティストもROCK小屋で高いノルマで出演してたんだけど、四谷天窓はその概念を覆すノルマ設定、そしてお客さんも座って聴けて、やっぱり弾き語りのムーブメントを作ったのが四谷天窓だっていうのは自負してて。それから4年後にコンフォート作ったんだけど、その頃グランドピアノに特化した店ってのはたぶんうちが初めてで、そこからピアノのアーティストってすごく集まってきたから、やっぱりピアノのアーティストムーブメントを起こしたのも天窓じゃないかなっていう気はしてるんだよね」

ー禁煙もさきがけでしたよね。

「そうそう。俺は最初は反対したけど。当時ライブハウスで禁煙なんて絶対あり得ないと思ったから。ところがピアノと禁煙っていうものがここまでハマるとは思わなかったし、そういったさきがけとなる店になった事はこの10年の歴史の中では自慢になるんじゃないかな」

ーこの先15周年、20周年と続いていくわけですが、2、3年先でもいいし来年、今年でもいいのでマニフェストがあれば教えて下さい。

「今実際動いている事としては、音響機材を一新する事によって音をもっとより良くしたい。それはアーティストの為でもありお客さんの為でもあるし、エンジニアが成長するっていう意味もある。ネット映像にしてもやっぱりライブの音が結構飛び交う世の中になってるから、より良い音の良さっていうものは絶対もっと追求されていくと思うので」

ーネット映像もですけど、作ったその良い音を実際は生で感じて欲しいですよね。

「そうだね。やっぱ音の良い、空気の良いライブハウス。居心地の良い美味しい焼酎が呑める店。それ一番最初のコンセプトにあったと思うんだよね。今思えば山崎くん(山崎まさよし氏)に「四谷天窓」の看板を書いてもらったのが始まりで、その2年後にライブが実現したんだよね。その時に5万人来場記念イベントって形でやったのを覚えてて、って事は10年経った今は単純に考えても25万人来てるんだよね。60人のちっちゃな小屋に25万人のお客さんが来てて、そういったお客さんと僕らは接してるって事。音楽というよりも、人と人と接するっていうか」

ーFOURVALLEY開店から数えると今年で29年でしたっけ。

「FOURVALLEYから数えると…計算できねえや。FOURVALLEYができて僕は6年か7年目くらいに、音響としてスカウトされました。当時は東京にROCKのライブハウスが10軒くらいしかなかったんじゃないかな。柴田恭平さんが居た劇団から始まった小屋で、ジャンルを問わず色んな事をやってました」

ーこの頃、主に出演されていたのは?

「杏子さん、 BARBEE BOYSとか当時わりとPOPSのさきがけのアーティスト。それこそ安全地帯、爆風スランプ、C-C-Bとか。山崎くんはそれよりも10年後だった」

ー吉川さんってFOURVALLEY勤める前はC-C-Bの専属PAだったんですよね?

「そう。当初僕と同じくらいの年齢だったから、ちょうど22歳くらいの頃」

ー現場の面白エピソードとかありますか?

「そうだなあ。やっぱ地方妻かな(笑)いや、そうじゃなくて、やっぱ当時PAエンジニアってものはエンジニアであると同時に全てをこなさなきゃいけなかった。コンサートツアーでは機材車の運転から搬入搬出もやらなきゃいけないし、現場の思い出っていうより、ほとんど肉体労働者。あの頃は力すごくあって、2tトラックを皆で持ち上げた事もあったから(笑)メンバー、ブタカン(舞台監督)、照明、音響ってのがひとつのチームで団結して動いてたってのがすごく思い出に残ってるし、その頃ペーペーだったので教わる事も多くて」

ー一番辛かった事って何ですか?

「スピーカー3発とばして給料がマイナスになった事かな(笑)」

ー当時売れたバンドの秘訣って何だと思います?

「やんちゃな人がすごく多かったし、ハングリー精神持った奴らすごく多くて。特にビジュアル系のアーティスト、 X JAPAN になる前の X とか LUNA SEA とか、やっぱ行儀が悪いアーティストもすごく多くて、楽屋のマナーが悪かったりとかいう事も」

ーそういう人ほど売れてたという事ですか?

「そういう人が売れてた。楽屋は彼らが汚してました(笑)」

ー演奏はやっぱり上手いと思いました?

「うん、やっぱり考えてたと思う。プロ根性って言うのかな、とにかく音楽だけで飯を食おうって事をすごく考えてて。今みたいにネット上での展開もほとんどなかったからライブ会場っていうものをすごく大切にしてて。お客さんをいっぱい集めるって事を常に考えて、グッズを作ったりオリジナルのカセットテープ作ったりとかして、それをバンド資金にしてツアーまわってたり」

ー例えば今CDが売れない時代ってよく言われるじゃないですか。この先アーティストが稼ぐ為にはどうすればいいと思いますか?

「結局今も昔も同じかも知れないけど、やっぱりライブってすごく大切だと思う。集客をするって事をもっと考えなきゃいけない。ただ自分ひとりで動くのは限界があるので、昔もすごく感じてたけど、チーム力っていうものを自分の周りから作っていかなきゃいけない。いい音楽をやってたとしても自分だけで動ける範囲って決まっちゃってるから、仲間を増やす、チームを作る、マネージングをして支えてくれる人が近くにいるって事は大切。パートナーを見つければ自分は音楽に集中できるし、そのパートナーがプロじゃなくても全然いいと思うから」

ーそういった中で、ライブハウスが手伝える事って何でしょうか?

「アーティストを魅せる演出、その為に良い音を作る、良い照明を作る、良いブッキングをする。やっぱりそのアーティストの事を思ったイベントを毎日作ってあげるのがベストなのかな。現場から一緒に作っていってあげられるスタッフを、うちは作っていきたい」

ーそれは10年前、あるいは20年前と役割って変わりました?

「基本は同じだと思う。エンジニア=アーティストだって考えを持って欲しいんだよね。さっき言ったチームで動くってのもそうなんだけど、出演者と共にステージに自分もいるような気持ちでエンジニアをするっていうのかな。プロとして常にアーティストのすぐ近くにいるエンジニア」

ーそれはスタッフに求められますね。

「そうだね。アーティストに信頼されるスタッフになって欲しいな」

ー逆に、アーティストにお願いしたい事ってありますか?

「自分の事を音楽で磨くって事も大切だと思うんだけど、仲間をもっと作って欲しいかな。ライブハウスでひとりで演奏して満足して、そのまま帰ってしまったら何にもならないと思うんだよね。その日のライブの出演者がまた同じメンツで同じ場所でやるって事はそんなにないと思うから、やっぱりその日その日を大切にして欲しい」

ー例えば最初の一曲だけでいいから、対バンを聴いてみて欲しいですよね。それで人生変わる事だってある。もちろん二曲目で外に出るのも自由だし、それには誰も文句言えないと思うんです。

「そうだね、全く聴かずに楽屋にいるってのはあり得ないよね。どうしても用事があって帰らなきゃいけない時でも、リハーサルはちゃんと見るとかくらいは、やっぱり」

ー本番はもちろん良いライブをする事だと思うんですけど、例えばリハーサルでアーティストに求める事ってありますか?

「それぞれの入り時間に来るってのも大切なんだけど、一番最初から来て全てのアーティストの演奏を聴いてその日のライブのメニューを決めるとか。そういったマネージャーもいていいと思う。その日その日の事は常に考えて、ライブって生ものだから。『人の音をもっと良く聴け』と言いたい」

ーなるほど。吉川さんって昔から名言がたまに出ますよね。僕の知ってる名言のひとつに、「こんなにヘタなバンドはいないけども、こんなに…」何でしたっけ?

「あぁ言った言った。RCサクセション。「演奏はすごくヘタクソなんだけど、ライブがこんなにかっこいいバンドはいない」だっけなあ(笑)そうだねえ魅せるっていうかかっこいいライブをする事も大切だと思う」

ーどうすればヘタクソなのにかっこよくみせられると思います?

「やっぱり人のライブをもっとよく見るって事と、自分の尊敬するアーティストっていうのをもっと見るなり研究するなりって事はした方がいいと思う。かっこよくみせるのはやっぱり真似じゃないかな。真似るのが一番良いと思う」

ーでは最後に、吉川さんの現在の夢を教えて下さい。

「夢かぁ。一軒家を建てる事かなぁ(笑)それは違うな。弾き語りって音楽の基礎だと思うし全国共通だと思うんだけど、全国に四谷天窓を作っていきたい。すごく面白いと思うんだよね。同じ内装で、どこへ行っても四谷天窓。石壁で」

 
2011年3月7日 インタビュー: 高橋慎一郎 (四谷天窓)
 
音波マガジン
2011年4月号表紙
吉川直人
(天窓グループ統括プロデューサー)
 
 1961年長野県生まれ。1980年前期、日本ROCKの全盛期の時代に、PA屋さんで音響の修行を始める。久保田利伸やC-C-Bの全国ツアーを廻る。1980年代後期、四谷フォーバレーに音響エンジニアとしてスカウトされる。バンドブームのころ、原宿歩行者天国で一番デカイ音を出してJUN SKY WALKER(S)に睨まれる。1995年より店長に任命される。2001年四谷天窓を立ち上げ、アコースティック小屋の先駆けとなる。
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